沖縄を訪れると、屋根の上や玄関先でキリリと睨みをきかせる「シーサー」に出会うことが多いかもしれません。
実はこの“沖縄守り”には、古代オリエントから続くライオン像の伝統や、琉球王国の風水的な思想が深く溶け込んでいます。

もしあなたがシーサーを手に入れたなら、その歴史や配置のポイントを知ることで、家と運気をしっかり守ってもらえるはず。
シーサーの起源から飾り方のコツまで、観光から日常生活まで役立つ情報をまとめました。ぜひ、あなたの暮らしにも沖縄のパワーを取り入れてみてください。
シーサーを買ったらどうする?「沖縄守り:歴史・配置・風水で家と運気を守る秘訣」
シーサーの起源と由来

沖縄の街角や民家の玄関先で、にこやかに、あるいは力強い表情を浮かべる「シーサー」は、初めて見た人を思わず笑顔にしてくれます。
けれども、その背景を深く知ると、単なるかわいい置物ではなく、アジアの大陸文化がはるばる海を渡って沖縄に根づいていくダイナミックな歴史のドラマを感じられるはずです。
ここでは、シーサーの意外なルーツから、琉球王国時代の伝来、さらに村落や一般家庭へ広まるまでの歩みを、観光目線でご紹介しましょう。
起源と伝来
ライオン像が“シーサー”と呼ばれるまで
サンスクリット語の「ライオン=シンハー」が沖縄の方言で変化し、「シーサー」という愛らしい響きになったといわれています。
エジプトのスフィンクス、中国の石獅子、日本の狛犬など、ライオンをかたどった像は世界各地で神聖視され、宮殿や聖域を守るシンボルになってきました。琉球(沖縄)もまた、中国や東南アジアとの交易が盛んな地であったため、この獅子像の文化が自然に根づいたと考えられています。
ただし、沖縄にやってきた当初の“獅子像”は、そのまま中国様式の姿ではなく、沖縄の風土や人々の信仰と合わさるなかで、徐々に今のシーサーへと形を変えていったのです。
観光で訪れるなら、那覇や周辺エリアの博物館や資料館で、獅子像がアジア各地にどのように広まったかをまとめた展示を見学してみるのも面白いかもしれません。
さまざまな石獅子や狛犬の写真や実物を見比べれば、琉球のシーサーが独特の表情を持つようになった過程を感じ取れるでしょう。
琉球王国への伝来:王都が育んだ守護の獅子
13世紀から15世紀にかけて、琉球は中国との貿易関係を深めていました。
その時代、中国皇帝の宮廷を守護する石獅子の文化や風水思想が、海を渡ってこの島にも伝わってきたとされています。
首里城をはじめとする城門や王家の墓所などに置かれた獅子像は、当初は威風堂々とした大陸風の姿をとどめつつ、沖縄の人々に受け入れられていきました。
ただし「獅子像をそっくりそのままコピーした」わけではなく、沖縄の聖地観や神に対する祈りのスタイルが独自に加味されるうち、どこか愛嬌のある姿に変化していったようです。
お城巡りが好きな方は、世界遺産の首里城跡を訪れた際に、あちこちに鎮座する石獅子の表情をじっくりと観察してみてください。
王城の守護者として厳粛な雰囲気をまといながらも、どこか“人なつっこい”雰囲気も漂わせるシーサーが見つかるかもしれません。
沖縄における初期のシーサー
沖縄に現存する最古級の獅子像:浦添ようどれの石獅子
沖縄で確認できる最も古い時期の獅子像として有名なのが、浦添市にある英祖王の墓「浦添ようどれ」に置かれていたものです。
造られた時代に諸説あるとはいえ、15世紀頃とも推定され、これが琉球王国初期の獅子文化を示す貴重な遺産となっています。
王や高貴な一族の墓所を守護する存在として据えられていたことから、当時はまだ希少な存在だったことがわかります。
観光ルートとしては、首里城や玉陵(たまうどぅん)など首里周辺の歴史スポットを巡る前後で、浦添ようどれを訪ねてみるのもおすすめです。
墓所周辺は緑が多く、静けさのなかで琉球王国の面影を感じ取ることができるでしょう。ここで見られる石獅子は、現代のシーサーと比べると格段に写実的で、当時の彫刻技術や権威の象徴としての存在感をリアルに伝えてくれます。
王家や陵墓への設置:玉陵のシーサーと宮獅子の魅力
15世紀末から16世紀にかけて、琉球王国が確立され、首里を拠点に本島や離島を統合していく中、宮廷儀礼や建築様式も洗練されていきました。
1501年頃に造営された玉陵には、輝緑岩を素材に彫られたシーサーが今も残り、当時の“宮獅子”がどのように王権を示しながら場所を守っていたのかを肌で感じられるスポットとして知られています。
首里の街を歩くと城跡だけでなく、道端の碑やお堂などにも獅子が見え隠れすることがあります。
そんなときは「あれは権威の象徴としてのシーサーなのか、それとも人々が祈りを捧げてきた守護者なのか」と思いを巡らせてみてください。
きっと、ただ歩いて回るだけでなく、何百年も続く琉球の息吹を想像しながらの散策が味わい深いものになるはずです。
村落や民家への普及

村や集落を守る石獅子:富盛のシーサーが火事を止めた!?
王城や陵墓を護るシーサーが、より庶民の暮らしへと浸透していった大きなきっかけが、1689年に起きた富盛村(現・八重瀬町)の火事騒動だと伝わります。
村人が度重なる火災に悩み、風水師のアドバイスを受けて丘の上に石獅子を据えたところ、嘘のように火災が止んだという話が評判になり、これがきっかけで沖縄南部を中心に“村落シーサー”が次々と建てられたとされます。
富盛の石彫大獅子は高さ約1.4mとコンパクトながら、しっかりとした体躯で遠くの山をにらむように座っています。
後の沖縄戦で銃弾の痕を多数受けながらも村を見守り続けてきた歴史を思うと、単なる置き物ではなく本当に村人たちの心の拠り所だったことを痛感させられます。
観光で訪ねるなら、豊かな自然の中、のんびりと丘を散策しながら石獅子に会いに行くと、地元の伝承をより身近に感じられるかもしれません。
明治時代以降、一般家庭で愛される“屋根シーサー”へ

かつての琉球王国では、赤瓦の使用は上流階級だけに許された特権でした。
明治政府による近代化にともない、その垣根が徐々になくなっていくと、庶民の家屋でも赤瓦を採用できるようになり、同時に「屋根の上にシーサーを置く」という慣習が広がります。
さらに瓦職人の中には、屋根を修理する際に漆喰でシーサーを手作りする職人技を披露する人もいて、それぞれの家でまったく違う顔のシーサーが生まれていきました。
現在、沖縄各地を歩くと家並みの上にちょこんと載っている赤茶色のシーサーを見かけることが多いのは、こうした歴史の賜物なのです。
大きく張り出した歯をむき出しにした“迫力系”もあれば、ふっくら優しい表情の“癒し系”もあり、見れば見るほど個性豊か。
お土産としても、陶器や琉球ガラス、石彫りなど多彩な素材のシーサーが販売されているので、ぜひ「自分好みの顔」を見つけて持ち帰る楽しみも味わってみてください。
めぐり方のヒント:シーサーをテーマにした旅プラン

沖縄に来たら、美しいビーチや世界遺産の史跡巡りはもちろんですが、あえて「シーサー」に焦点を当てて観光ルートを作ってみるのも一興です。
那覇に泊まるなら、壺屋やちむん通りの陶芸工房を回って作り手の技を見学し、首里城跡や玉陵へ足を延ばして宮獅子の姿を見比べてみると、同じ獅子像でも表情や造りがかなり違うことに気づかされます。
日をあらためて八重瀬町方面へ行けば、富盛の石獅子が立つ丘で、火除け伝説の空気に思いをはせることができるでしょう。民家の屋根の上を見上げると、あちこちにちょこんと置かれたシーサーが目に入ってくるはずです。
こうした「シーサー探しの旅」をしていると、沖縄ならではの歴史が身近に感じられ、地域の人たちが“守り神”として受け継いできた文化が少しずつ理解できてくるかもしれません。
時には、地元の方に「ここのシーサーはどんな由来があるの?」と尋ねてみるのもいいでしょう。きっといろいろな伝説や体験談が返ってきて、旅がますます濃いものになるはずです。
シーサーの文化的・宗教的な意味

沖縄を歩いていると、門や玄関先、屋根の上など、さまざまな場所で出会うシーサー。
見た目の可愛らしさや迫力に惹かれがちですが、実は古くから「家や地域を災厄から守る魔除け」として人々に信頼されてきました。
シーサーが持つ文化的・宗教的な意味を、旅先でどう楽しめるかという視点とあわせてご紹介します。
シーサーはなぜ「守護神」なのか

厳しい表情と福を招く力
シーサーをよく見ると、顔立ちがやや険しく、大きく開いた口が特徴的です。
沖縄の人々は、この威圧的な表情が魔物や邪気を追い払い、同時に開いた口からは福を招き入れると信じてきました。
街角で出会うシーサーがどのような表情をしているかに注目すると、それぞれに微妙な違いがあることがわかります。
あるものは歯をむき出しにしたような威圧感が強い顔つき、またあるものはどこかコミカルで愛嬌のある表情をしています。
思い切って近寄り、じっくり“対面”してみれば、地元の人たちが込めた願いを感じ取れるかもしれません。
魔除けと開運が両立する理由
「外からの悪い気」を一喝して寄せつけず、「良い気」だけを引き寄せる――シーサーは、そのように説明されることもあります。
こうした考え方の根底には、琉球王国時代から受け継がれてきた独特の風水観や民間信仰があり、沖縄の人々にとってシーサーは身近かつ頼もしい存在となりました。
旅の途中で見かけたら、ぜひ一瞬立ち止まり、“このシーサーはどんな悪霊を追い払ってきたのだろう? あるいはどんな福をもたらしてきたのだろう?”と想像を巡らせてみるのも楽しみの一つです。
風水と民間信仰が育てたシーサー

琉球王国の時代背景と風水師の存在
かつて琉球王国時代には、政治や建築に携わる風水師が存在し、国の重要な施設や街づくりなどに影響を与えていたと伝わります。
家や城、村落を建てる際に「悪い気の流れ」を遮るポイントを探り当て、そこにシーサーを据えることで結界を張ったのです。
那覇や首里の街を散策していると、門の上や石垣の隅にちょこんと置かれたシーサーと出会うことがありますが、いずれも“ここが要所”という風水上の計算が働いているのかもしれません。
歴史散策とあわせて「風水的にはこの場所が鬼門なのかな?」と考えるのも、よりディープな旅の楽しみ方です。
富盛の火除け伝説
有名なエピソードとして、八重瀬町富盛の石彫大獅子が火災を鎮めたという伝承があります。
1689年に火事が頻発していた村で、風水師が「八重瀬岳の火の気を抑えるよう、獅子をあの方向に向けて置きなさい」と助言し、実行したところ火災が止んだというものです。
この出来事がきっかけで、沖縄の南部を中心に村落単位でのシーサー設置が盛んになったといわれます。
実際に富盛を訪ねて石獅子が立つ丘へ足を運べば、遠くの山を睨みつけるその姿から、長年村を守り続けてきた静かな力強さが伝わってくるでしょう。
東アジアに広がる獅子像文化

中国南部・台湾における「風獅爺(ふうしーえ)」
シーサーは沖縄固有のものと思われがちですが、実際にはライオン像の魔除け信仰は東アジア一帯に広く存在しています。
たとえば台湾の金門島には「風獅爺(ふうしーえ)」という石獅子があり、これも村を守る“守護神”として飾られています。風雨の侵入を防ぎ、火除けや台風被害を避けるといった意味合いが強く、沖縄のシーサーと非常に似た文化背景を感じさせます。
旅好きの方の中には「台湾や福建省などを巡って、ライオン像(獅子像)の系譜を比較する旅をしてみたい」という方もいるかもしれません。沖縄とアジア大陸をつなぐ貿易や文化交流の歴史を追体験するうえで、シーサーはひとつの象徴的な存在となっています。
ライオン像信仰の東アジア的広がり
ライオンはもともとアジアには生息しなかった動物ですが、スフィンクスを有するエジプトやインド、中国といった大陸世界を経由して「守り神」としての姿だけが伝わり、各地で独自の造形や信仰を生みました。
沖縄におけるシーサーの表情の豊かさや、家ごとに異なる造りは、この大陸から伝わった獅子像が、琉球王国の風土や信仰を吸収して変化した結果といえるでしょう。
異なる土地の獅子像との比較を頭に入れて沖縄を巡ると、琉球文化の独創性がより鮮明に浮かび上がります。
沖縄固有の信仰背景とシーサーの多面的機能

火除け・厄除けの「使い分け」
沖縄には「シーサーを一体だけ置くと火除けに、複数で置くと厄除け全般に効く」という伝承が語られる地域があります。
もちろんすべての地域や家庭が同じ解釈とは限りませんが、実際に村落シーサーは一体単独でいる場合が多い一方、民家の場合はオス・メスのペアを据える形がよく見られます。
「一体で頑張るシーサーは火災への特化型、複数体ならば広範囲にわたる厄災を追い払える」――こんなふうに考えると、屋根の上や門前に鎮座するシーサーを見上げる旅時間もいっそう楽しくなるはずです。
村境を守るシーサーの社会的・呪術的側面
古くは、村と村の境界にシーサーが置かれる例もありました。
「他所から来る厄災を防ぐ」という社会的な役割と、呪術的な力を同時に期待されていたわけです。沖縄の離島などを訪れると、集落の入口に石獅子が据えられているケースもあり、そこには“ここから先は外の世界”“こっちは私たちの村”といったラインをはっきり示すような雰囲気がただよっています。
地域コミュニティをまるごと護るために人々がシーサーを頼りにしてきた様子は、旅行者から見ると大変興味深いものです。
単なる置物としての印象を超えて、沖縄の人たちが暮らしの中でシーサーをどれだけ大切にしてきたかを物語る良い証拠でもあります。
シーサーの種類と特徴

大きく分けて宮獅子・村落獅子・家獅子の3種類があります。
種類 | 設置場所・時代 | 目的・特徴 |
---|---|---|
宮獅子 | 琉球王国時代(城門・御嶽など) | 国家権威と魔除けを兼ね備えたシーサー。石造が多く、王陵や首里城に設置される。 |
村落獅子 | 各集落の入口や丘陵など(17世紀後半~) | 火難・災厄除けとして村全体を守る。1689年の富盛の石彫大獅子が元祖とされる。 |
家獅子 | 民家の屋根・玄関 (明治以降) | 一般家庭で広く普及したシーサー。素焼きや漆喰製、近年はコンクリ製やレジン製も。屋根や門柱に据える習慣が根付いた。 |
口の開閉と雌雄
よく見かける左右一対のシーサーは、片方が口を開け(“阿”・オス)、もう片方が口を閉じ(“吽”・メス)とされることが多いです。
- オス(口開け):邪気を追い払う
- メス(口閉じ):福を逃さず招き入れる
ただし、これは民間伝承的な解釈であり、必ずしも左右=オス・メスが固定されているわけではありません。
形態のバリエーション
地域や職人ごとに形・表情が異なり、「世界に二つとして同じものはない」とも言われるほど多彩です。写実的ライオン風からコミカルな顔まで、さまざまなデザインが見られます。
シーサーの製作技法と素材

伝統的な素材
- 石彫(琉球石灰岩・砂岩など)
王城や村落シーサーで多用。 - 漆喰
瓦屋根の固定に使う石灰を活用し、屋根上に即興でシーサーを成形。 - 陶器
素焼き(荒焼き)の赤茶色タイプや、釉薬を施したカラフルなやちむんシーサー。
近現代の素材と量産
現在では、コンクリート製・樹脂(レジン)製・ガラス製・金属製など、素材は多種多様に。工場で型取り量産する商品も増え、観光土産として幅広く流通しています。
伝統技法の継承
那覇市壺屋や読谷村などには、昔ながらの手びねりや彫刻で一点物のシーサーを作り続ける職人も健在。戦後に失われた村落獅子の復元や、新たなデザインへの挑戦など、手作り文化は今も息づいています。
現代におけるシーサーの役割

日常空間でのシーサー
- 屋根や玄関に置く
災厄除け・家内安全の守り神として、沖縄の多くの家にシーサーが鎮座しています。 - 店舗やオフィスでも
商売繁盛や来訪者のおもてなしを意図して、入口やロビーに飾る施設も多いです。
沖縄文化のシンボル
- 観光のフォトスポット
石垣島の米子焼シーサー農園など、巨大シーサーを撮影する観光客が絶えません。 - 公共・デザインへの転用
自動販売機の上や航空機(RAC)の尾翼、看板・ロゴなどにもシーサーが描かれ、沖縄らしさを演出しています。
デザイン・アート面での進化

若手アーティストが手掛けるモダンシーサーや、紅型の色彩を取り入れたシーサー、ガラス工芸と融合した作品も登場。伝統工芸と現代アートが融合し、新たなシーサー文化を創造しています。
シーサーを買ったらどうする?「沖縄守り:歴史・配置・風水で家と運気を守る秘訣」
沖縄で有名なシーサー設置場所5選

富盛の石彫大獅子(八重瀬町富盛)
- 沖縄最古・最大級の村落シーサー
1689年に火除け目的で建立されたと伝わる、高さ約1.4m・全長1.75mの石獅子。第二次大戦で受けた銃痕が残り、戦火を耐えた歴史を物語ります。
玉陵(たまうどぅん)のシーサー(那覇市首里)
- 琉球王家の陵墓を守護
1501年、尚真王によって造営された玉陵の門上に据えられた宮獅子。那覇市指定文化財で、当時の高度な彫刻技術がうかがえます。
首里城 歓会門の石獅子(那覇市首里)
- 王都・首里を守護する象徴
首里城第二の門「歓会門」の両脇に立つ一対の石獅子。オリジナルは沖縄戦で失われましたが、現在は復元されたものが設置されています。
竹富島の屋根シーサー(八重山郡竹富町)
- 素朴で可愛い手作りシーサーの宝庫
竹富島の赤瓦屋根や門柱に小さなシーサーが無数に乗り、島の重要な景観要素に。ユニークな表情のものが多く、散策しながら「シーサー探し」する人も。
米子焼シーサー農園(石垣市川平)
- カラフルで個性的な創作シーサーが大集合
約100体以上のシーサー作品が並ぶ庭園。大きな口で人を飲み込むようなアートシーサーなど、フォトジェニックな空間が人気。
シーサーに関連する観光情報

シーサー作り体験スポット
- 壺屋やちむん通り(那覇市)
沖縄陶芸の中心地。多くの焼き物店や工房で絵付け体験や手びねり体験が可能。
- 体験王国むら咲むら(読谷村)
伝統衣装の撮影もセットのプランが人気。
- 琉球窯(今帰仁村)
海を見下ろす工房で素焼きシーサーを成形・絵付け。予約なしでも参加できる気軽さが魅力。
シーサーの日や祭り
- 4月3日「シーサーの日」
語呂合わせから生まれた記念日。壺屋やちむん通りではシーサーにまつわるイベントやワークショップが開催されます。 - 八重瀬町富盛の十五夜祭
旧暦8月15日には唐人行列・大和人行列が再現され、富盛の石獅子前がライトアップされるなど、地域ならではの伝統に触れられます。
シーサーのお土産
- 置物タイプ
素焼きやガラスなど、サイズ・素材豊富。国際通りや壺屋で購入可能。 - 雑貨類
Tシャツ、キーホルダー、ぬいぐるみ、ステッカーなどバリエーション多数。空港や大型土産ショップで手軽に入手できます。 - 工芸品・アート作品
読谷村や壺屋の窯元では伝統工芸士の一点物シーサーも。価格は高めですが一生もののお土産になります。
シーサーの置き方・飾り方のポイント

- 向き
悪い気が入ってくるとされる方角(玄関・窓)に向けて置くのが一般的。 - 高さ
災厄を見張るためにも、なるべく視線よりやや高めの位置に飾ると良いとされます。 - 一対(阿吽)のシーサー
玄関や入口付近には一対を並べるのがオーソドックス。オスとメスの並び方は地域・家庭で違うこともあり、好みで選んでも問題ありません。 - 掃除やお手入れ
守り神として迎えたシーサーは、ほこりを拭いて清潔を保ちましょう。定期的なお手入れで良い気の通り道を作ると言われています。
シーサーを買ったらどうする?「沖縄守り:歴史・配置・風水で家と運気を守る秘訣」
まとめ

シーサーは古代オリエントに始まる「獅子像信仰」が琉球に伝わり、長い歴史の中で沖縄ならではの守り神として定着してきました。
王族の権威を象徴する宮獅子から、村を災厄から守る村落獅子、そして家々の屋根を飾る家獅子へとその役割が広がり、現在では日常の風景と観光の魅力を兼ね備えた“沖縄の象徴”になっています。
素材やデザイン、設置場所も時代と共に多様化。
魔除けの守護像でありながら、アートやインテリアとしても愛されるシーサーは、沖縄文化を知る上で欠かせない存在といえるでしょう。ぜひ現地を訪れた際は、道ばたや屋根の上、観光スポットやギャラリーに隠れたシーサーを探してみてください。それぞれが抱える歴史の物語にふれ、一層奥深い沖縄の魅力を感じられるはずです。
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